【寄稿】○○を学ぶのではなく、何かを学ぶ
こども映画教室@早稲田エンパク2014にいらしてくださった粟田 佳織さん(フリーランスライター)より記事のプレゼントをいただきました。こちらに紹介させていただきます。
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初めて会った子どもたちが、3日間で映画を作る。ゼロから企画を練り、撮影し、編集し3日目には作品として完成させ、上映会を行う。そんな楽しそうなプロジェクトを見学させていただくことになった。
保護者は同伴不可。何から何まで子どもたち主体。できてもできなくても自己責任。何かあったら自分たちで解決せよ……という放任主義。大勢いる大人スタッフは、安全管理や時間管理、機材の扱い方といったバックアップのみ(といいつつ、ここは完璧なオペレーションで子どもたちを守っていました)、とにかく映画製作については子どもだけで行うという、強気の運営だ。
4、5人でチームを作り、素材探しから始めるらしいが、しっかり者の女子やお調子者の男子、シャイな子、ジャイアンな子などなど、小学生の集団のお約束キャラが勢揃いで、しかも異年齢男女混在となるとかなりのカオス。とても映画作りに挑む体勢には見えない。できるのか? まーでも、あと2日あるわけで、さすがにそのうち大人たちが介入してなんとかするんだろうね。──初日の感想はそんな感じだった。でも結局、大人たちのスタンスは3日間ずっとそのまま。そして最終日、カオスだった子どもたちのチームはそれぞれが素晴らしい作品を自分たちの力で作り上げ、上映会で披露することができた。編集も子どもたちだけでやったらしい。編集とは捨てる作業、大人でも頭を悩ませるもの。何が必要で何が不要か。何が大切か……編集しながらきっと自分たちの3日間とガチで向き合ったことだろう。
作品一つひとつの感想を言い出したらキリがなく、どれも愛しいのだけれど、印象に強く残ったチームがある。編成の段階からキャラの濃い集まりで、まとまりにくそうな予感。案の定、2日目の終わり近くまで何も決まらない状態だった。出口が見えない閉塞感、仲間にも遅れをとっている。やる気もなくなるよね。その感覚わかるよ。でも、何のきっかけかわからないが何か光が見えたらしい。そこから一気にどん欲に動き出す。遅れた分、取材も編集もすべて巻きでやらなければならない。でも追いつめられたときこそ閃きが訪れることがある。そのチームがかけこみで仕上げた作品にも、そんな閃きに導かれたピュアで優しい気づきが表れていた。がんばったね!
「みんなの奮闘を称えてあげましょう」なんて上から目線で臨んだ私は上映中、リアルに笑い、ドキドキし、感動し、上映後には壇上の子どもたちを眩しく見上げたのでした。どれも最高に素敵でした。
イマドキの小学生って、さまざまな体験学習が用意され、大人たちのセッティングのもと手軽に成功体験を味わえる。この映画作りもそうなんだろうけれど、成功までの道がやたら遠い。そもそも苦労が多いぶん成功だと自覚できていないかもしれない。ていうより、成功ってなんだろう?
作品には3日間の子どもたちの苦悩や葛藤、そしてひらめきや気づきといったあらゆる感情が映し出されていた。難航する取材交渉、学校や組織の根回しのない中で直面するシビアな大人の対応。疲れ、不安、迷い。それでも進めていくうちに出てくる欲。探究心。好奇心。初めて触れる人の優しさ。町の景色。空の色。達成感。
そう考えると、映画作りって人生を凝縮して体験してるようなものかもしれない。成功とか失敗とかって名前のない体験。でも絶対に役立つ体験。今はまだわからないけれど、確実に何かを学んでいて、その何かは子どもの数だけあるんだきっと。
これはひとえに大人たちの徹底したスタンスの賜物でしょう。後ろにいて、口を出したい、手を出したい、助けてあげたいといった欲求を抑えるのは苦しいもの。それでも子どもたちの底力を信じて、黒子に徹し、ただただ見守る。簡単なようで難しい、でもだからこそでき上がると自分のことのように嬉しい。大人にもよい体験になっているのだと思います。うらやましい!
参加した子どもたちの中から、将来映画人が生まれるかもしれない。そのときに立ち会えるよう、長生きしたいと思いました。あと……20年くらいか。がんばります。
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